自分の生きがいと、喜びに満ちた慈善活動。
「生きがいの善活」はじめませんか?
マザー・テレサはカトリック教会の修道女で、インドで貧しい人々のために活動をし、ノーベル平和賞を受賞した立派な方で、数々の名言を残しています。
ある時マザー・テレサは「世界平和のために、私は何をしたらいいでしょうか。」と尋ねられ、このように答えたそうです。
「あなたの家に帰って、あなたの家族を愛してあげてください。」
なんと直接的で分かりやすく、心にグサッと突き刺さる言葉でしょうか。
世界平和を志すならば、まず目の前の人を幸せにできなくて、何ができるのでしょうか。最初から大きなことや目立つことを目指す必要など何もないのです。
世界中の一人ひとりが家族を愛する行動ができたら、それこそ世界の平和といえるのではないでしょうか。
私の脳裏をひとときも離れることのない座右の銘です。
「目の前にいるひとりの人を大切にする」と言いかえてもいいのではないでしょうか。
私は通信制高校の学習センターという教育の仕事についています。
そして、いつもスタッフにお伝えしています。
「目の前にいるひとりの生徒を大切にしましょう」
慈善活動といっても、その内容はさまざまです。一般的に慈善活動はお金や労力を慈善的な目的でささげることと言われているようです。
お金をささげることは、募金が代表例になるでしょう。
「赤い羽根の共同募金」や「歳末たすけあい」などは、皆さんにとってなじみ深く、手軽な慈善活動といえるのではないでしょうか。
労力をささげることは、ボランティア活動が代表例になるでしょう。
震災や津波などが起きたとき「災害ボランティア」活動として行動した方も多いことでしょう。あるいは遠くに行かなくても近所の道や講演を「掃除して歩く」こと、これだって立派な慈善活動といえるでしょう。
慈善活動のことを無理に定義付けして、狭い意味にしなくてもいいと思います。「善活=善意を活かす」ことすべて、と考えてみるのはいかがですか。
道に自転車がはみ出していたら、白い杖をついた目の不自由な方のご迷惑になります。だから、そっと自転車を動かしておく、これもあなたの善意を活かす「善活」です。
ガムが落ちていたら「誰か踏んだらいけないから」という善意でガムを拾って捨てておくのも立派な善活です。
身体の不自由な方に声をおかけして手助けをするのは、ちょっと勇気が必要かもしれません。でも、こんなふうに小さな気づかいならば、みんな照れずにできそうですね。
世界中の人が善活=小さな親切を実行していけば、どんなに平和な世の中になることでしょうか。
私の人生で3回の会社選びの機会がありました。
一度目は大学卒業時。大手製薬会社と無名な通信機メーカー。迷うことなく無名の会社を選びました。なぜなら「海外で働く」という夢を叶えたかったからです。
二度目は20代での転職。大手コンピューターメーカーと無名の部品メーカー。迷った末に「ヨーロッパ支店を開く」仕事に惹かれ、小さな会社に進みました。
三度目は30代。大手光学機器メーカーと巨大外資のアメリカ企業。「アメリカも見てみたい」という思いがこみ上げ、外資を選びました。
いつも「安定」よりも「夢や憧れ」を優先したため、様々な人生の浮き沈みを経験しました。でも振り返ると(面白い人生だった)と感じています。この私の経験をひとりでも多くの若者に伝えられたら、と願っています。