自分の生きがいと、喜びに満ちた慈善活動。
「生きがいの善活」はじめませんか?
私は照れ屋で、というよりも勇気がなくて、慈善活動に関心はあっても実行が伴わないタイプの人間でした。(お恥ずかしいことに、今でもそういう傾向がある、というのが実際のところです)
私は会社員の時代にロンドン・ニューヨークなど海外駐在をした経験があります。それを活かして、アメーバブログで英文法の無料解説をしてきました。お陰様で多くの方に喜んでいただき、2千名を超える読者の方が愛読してくださっています。
数年前、ある目の不自由な方から以下のメッセージをいただきました。
「目が不自由でも、実は文字を読む音声ソフトのおかげで、ブログを楽しんでいる人は大勢います。しかし、せっかくコメントをしたいと思っても音声ソフトでは読めない画像認証を要求されると、そこから先に進めなくなってしまうのです。」
この声には衝撃を受けました。「たくさんの目の不自由な方がブログを楽しんでいらっしゃる」という前向きな驚きと共に、私たちの知らないところで障がい者の方にバリアーが作られてしまっている、という事実を知り、残念に思いました。
そしてこの問題は、ブログを書く人がほんの数秒をかけて画像認証を外すことで解消できることを教えていただきました。そこで私は「視覚障害者の方の為にバリアーを外しましょう」という運動をブログで始めました。この運動には百名以上の方が賛同してくださって画像認証を外すことをそれぞれのブログ読者にアピールしてくださいました。
百名の方のご協力があっても、百万名のブロガー全てにはアピールできません。根本的な解決のためには、ブログを設計する運営サイドで障がい者のことに更に思いを寄せていただき「画像認証と音声認証のどちらも可能」というような根本的な対策をしていただく必要があります。
でも、それでも「目の前の百名のブロガー」の方に共感をいただき、それを読んだおそらく「目の前の千名のブログ読者」に思いが届いたことでしょう。
画像認証を外すことは直接的には目の不自由な方だけへの対策かもしれません。しかし、そういう障がい者への思いやりの意識を持つことが、世の中の弱い立場の人や不便を感じて生活している様々な方への思いやりにつながるのではないでしょうか。
ネット上に存在しているバリアーについて教えてくださった方のおかげで、小さな運動を起こすことができたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
幼いころの私の一番の思い出は、フリーダーと名づけたコリー犬と過ごした日々のことです。闘牛士のように布で覆って遊んだり、犬小屋に潜り込んで一緒に寝ようとして困らせたり、雪の中で転がりあったり、どんな乱暴な遊びをしても母親のように包み込んで遊んでくれる、やさしいコリー犬のフリーダーでした。
どんな悩みがあっても、どんなイジメにあっても、どんなに熱が出た日でも、フリーダーさえいてくれれば「すごく幸せ」と感じられる毎日でした。
ところが、ある日のこと、フリーダーは軽トラックで見知らぬ人に連れ去られていってしまったのです。今でも心の葛藤として脳裏に残っています。
子どもが大好きで、通学する小中学生を見るとワンワン吠えて大喜びをしていた、人気者のフリーダー。しかし、その声がご近所の迷惑ということで、私と兄の知らぬ間にフリーダーを山あいに住む人にゆずることが決められていたのです。
それから新たな犬を迎え入れるまでの2年間、それは枕を濡らさずには寝られない日々が続いた、長く悲しい2年間でした。新たに迎え入れたケンと名づけた紀州犬は、15才で天寿を全うするまで郷里で生きてくれました。本来は猟犬として人間に仕えるために生まれた、飼い主に忠実な血をそなえた名犬でした。
犬が大好きだった私は、目の不自由な人を助ける盲導犬に高い関心を持っていました。夏休みのテレビドラマで、盲導犬の候補であるラブラドール・レトリバーの幼犬を預かる「パピーウォーカー」の家族の物語がありました。TBSの「ラブの贈り物」という番組でした。
パピーウォーカーは子犬に「人といる幸せ」を感じてもらうのが役目です。まるまるとした可愛い子犬をお迎えし、目に見えるような速さで成長していくのを見守る暖かい家族。翌年に続編が放送されるほど人気が出たお昼のドラマでした。
でも、私は途中までしか見る勇気がありませんでした。なぜならパピーウォーカーは、子犬が成長をして1才になったころ、その愛する子犬を手放さなければならないからです。その別れを経験する子どもたちの心境を想像するだけで、場面を見なくても別れの辛さが痛いほどに感じられます。
パピーウォーカーとして子犬を育てる家族の皆さんを心から尊敬します。お子様の辛いけれども貴重な人生経験となることでしょう。でも、私にはパピーウォーカーになることができません。
私が駅まで歩く通勤路を、赤ちゃんをおんぶしながら、幼稚園くらいの女の子に手をひかれて歩く白い杖の若いお母さんをよく見かけました。おばあちゃんらしき人もいつも一緒に歩いていらっしゃいました。
幼いお子さん2人を育てるだけでも大変だと思うのですが、お顔には幸せそうな笑みがいつも見られました。(何か手助けをできないか、でもそれは余計なお世話か)そんな心の問答を繰り返しながら、ただ安全を祈って見つめることしか出来ませんでした。
ある日、いつもと様子が違いました!
盲導犬を連れて歩いていらっしゃったのです!まだ訓練中の様子で、おっかなびっくりの様子でしたが、今までとは違う足取りがかんじられました。
それから数ヶ月後「盲導犬とだけ、ひとりで歩いている」姿を拝見しました。(もう安心、これで大丈夫)何にもしなかった、できなかった私でしたが、ただただ心から嬉しさがこみあげてきました。
盲導犬を育てるのには大変な時間と費用がかかると聞きます。子犬を育てるパピーウォーカーだけでなく、役目を終えて引退した盲導犬をお預かりするボランティアもあります。マンション暮らしの私には引き受けられない仕事です。でも(何かできないか、盲導犬の育成のために何かお役にたていないか)という思いが、いつも心にくすぶるようになりました。
ところで私は約10年前から、本業とは別に、週に一度「大人の方に英語を教えるビジネス」も行ってきました。
有料の英語レッスンですが、「自分の海外駐在で得た経験や知識を若い世代に引き継ぎたい」というのが一番の目的です。お金よりも私の「生きがい」として活動してきました。
(その経緯は後で詳しく述べさせていただきます)
今年に入ってから私の頭には2つの思いが飛び交っていました。
ずっと思いあぐねた末に、ついに名案が浮かびました!
英語レッスンでお金をとらない、だけど「盲導犬育成のための寄付」をしてもらおう!
そうすれば、良いことだらけなのです。
こんなふうに皆がハッピーになって、良くないことなんて一つもありません。
いえ、ひとつだけ、今までと大きく違うこと。
それはビジネスとしての英語レッスンの売り上げがなくなることです。
でも!英語レッスンは私の「生きがいで、ライフワーク」なのです。おまけに皆がやりがいを感じられる「お金には代えられない幸せな活動」なのですから、実行に移すことに躊躇は必要ありませんでした。
このチャリティーレッスンという方法に変えて、本当に良かったと実感しています。私が幸せに感じるだけでなく、生徒の皆さんにも慈善活動に直接的に参加する感動を味わっていただける、そのことに二重の喜びを感じられるからです。