自分の生きがいと、喜びに満ちた慈善活動。
「生きがいの善活」はじめませんか?
就活といえば「就職活動」という意味で、普通の日常用語として定着してきましたね。そのほかにも婚活=結婚活動、妊活=妊娠活動、終活=(遺言を用意するなど)終末活動など、枚挙に暇がないと言っていいほどたくさんの「△活」があります。
△活と名付けると、なんだかオシャレで軽い感じです。だから「△活」と言えば、人に話したり実行するのに抵抗感がなくなるのではないでしょうか。
例えば「結婚相手を探しています」とストレートには言えなくても「婚活パーティー」であれば、気楽に参加できてしまいます。「不妊治療をしています」とは言いにくくても「妊活をしています」ならば、ちょっとソフトな感じがしませんか?
では、それを慈善活動にも応用してみようではありませんか!
「善活」といえば「慈善活動」のこと。
この言葉が広まれば「善活しています!」って、なんだかクール、かっこ良い、そんな響きがするようになれば、どんどん気楽に慈善活動ができるようになりますね。そう!みんなで善活しませんか?
だから、私は提案します。
慈善活動のことを「善活」と呼んでみませんか?
私たちは、みんな慈善活動が大好きだと思えてなりません。
「24時間テレビ」という番組があります。愛は地球を救う、を合言葉にしたチャリティー番組で、視聴者から寄せられた寄付金を福祉活動に役立てています。この番組が30年近くも続いているのは、それだけ多くの国民に愛され、共感をよんでいるからでしょう。
毎年10月になると「赤い羽根共同募金」のために高校生が駅前で声をからして道行く人々に呼びかけています。その純粋で心打たれる姿は、秋恒例の風物詩といえるくらい私達に馴染み深いものになりました。
「東日本大震災」が起きた年には、国民総出で復興支援のために募金をしたり、あるいは現地でサポートをするボランティア活動に多くの人が参加しました。
理屈でも精神論でもなく、ただただ私たちは(人のために役立ちたい)という思いが強い、だから慈善活動が好きなのだと思います。それは人間としての自然な感情ではないでしょうか。
慈善活動は大好きなのに、実行するのは照れくさいと感じてしまう…それは私だけでしょうか?いいえ、きっと今この本をお読みの多くの方が私と同じように「やってみたいけど人前では照れくさいな」と感じているのではないでしょうか。
例えば駅前で赤い羽根募金を見ると、少しでも寄付をしてあげたいのに「人が見ているところで募金をするのは恥ずかしい」と感じ、ためらってしまいませんか?
恥ずかしがる必要はないはずなのに、良いことをするのに照れくささが先立ってしまう、これは日本人の特徴かもしれません。
(少なくとも私はそう感じてしまいます。電車でお年寄りに席をゆずるのに、今でも勇気を振り絞る必要がある、私はそんな小市民です。)
慈善活動が気楽にできる、何か良い方法はないものでしょうか?
ベルギーに初めての海外駐在をしたとき。仕事は朝の8時から午後4時まで。ほぼ全員が午後4時ピッタリで帰宅し、4時過ぎにはアラブ系の人たちがきて掃除をしていました。私は申し訳なく思い、自分の机まわりを掃除していました。
ある日、ベルギー人の上司から呼ばれ、注意をされました。
「君が掃除をするのは、人の迷惑になるんだよ。あの掃除をしている人たちの仕事を奪ってしまうんだから。」
ショックでした。善意から出た行動でも、他人の迷惑になってしまうことが。でも上司が言葉に出して教えてくれたから、間違いを知ることができました。
善意からの誤解というのは、日本人の間でも、あるいは身障者と健常者の間でも生じがちかもしれません。
でも問題は話しあえば解決するかもしれません。大切なのは誤解を恐れず、先ず第一歩を踏み出してみることではないでしょうか。